京都の琵琶法師、聞光です。

 

 

 「こころの菩提寺」です。

 

 

薩摩琵琶の演奏と、ウクレレの演奏等を、

昭和の頃から、病院、介護施設、拘置所、

ハンセン病療養所で、演奏をしていました。

 

 

ハンセン病療養所での活動や経験から、 

昭和の頃より、「ハンセン病の語り部」

として、近畿各地でお話をしています。

 

 

 

大阪釜ヶ崎エリアでは、アルコール

 依存症の患者に対する更生活動で、

当時、ドイツ人宣教師の方から、

カウンセリングの基本を教えて頂き

更生活動に取り組んでいました。

 

 

お世話になったドイツ人宣教師の、

エリザベス ストローム宣教師の

思い出は、ブログの中に書きました。

 

 

 

 

 また、日本国内にあるハンセン病の

強制隔離療養施設での奉仕活動では、

アメリカ人宣教師のピーターアール

・ラスムッセン先生の思い出話を、

ブログに色々と書かせて頂きました。

 

 

 

 「こころの菩提寺」 

 

 

本河  聞光

 

 

この世を生きる道しるべ

 

人として、命をもって生きているということが、どれだけ有難いことか、どれだけ素晴らしいことか、ゆっくりと考えてみましょう。

 

 

すべての命は、大自然の恵みである不可思議な働きによって生まれたのです 。

 

 

この世のすべてのものは、大自然が生みだしたものであり、そのような働きを、お釈迦様は「縁起」とお話になりました。

 

大自然そのものが、この様な働きをするので、大自然の恵みそのものを、

「このうえない、ほとけ」と言います。

 

 

あなたもわたしも人間はみなさん、先祖代々、親から子供へ命を伝えてきましたが、本来ならばその命の伝達は我々の力だけではどうする事も出来ないのです。

 

 

すべてはお釈迦様が説かれた様に、この世はすべて「縁起」で成り立っているのかもしれません。

 

 

縁起の法(命はみほとけにおあずけしている)で成り立っているのかもしれません。

 

 

この世で我々が色々な人々と出会えて、命を輝かせる事ができるのは、みほとけのお力のお陰かもしれません。

 

 

人の命には、長い命もあり短い命もあります。実に無情です。

 

 

人が亡くなる事により我々人間は、人の命というものが、有限である事を知るのです。

 

 

ひとは命を終えるとどこに行くのでしょうか。命を終えるとみほとけの国に生まれて、ほとけになるのです。

 

 

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、この世を生きる道しるべなのかもしれません。

 

今一度、心静かに手をあわせ、お祈りの

時を持とうではありませんか。

 

 

 

    「こころの菩提寺」

 

     

 

 

 

 

 

 

     

         

      

 

 

 

ハンセン病の「語り部」

 

大阪市西淀川区の大阪湾岸沿いに「外島保養院記念碑」という石碑が建っています。

 

 

 

明治42年(1909年)、ここにはハンセン病の療養所である「外島保養院」がありました。

 

 

外島保養院」は、近畿地方と北陸地方の二府十県により作られた、ハンセン病療養所でした。

 

 

敷地面積は、約20,000坪の広大な敷地で、その後の増築で日本有数の規模を誇るハンセン病療養所が、ほぼ出来上がっていました。

 

 

昭和9年(1934年)の室戸台風で、海抜ゼロメートル地帯のこの保養院は、残念ながらすべての施設は壊滅してしまいました。

  多くの入寮者の皆さんがお亡くなりになりました。

 

 

 毎年このハンセン病療養所敷地跡にある記念碑(石碑)に、合掌をして礼拝をします。亡き方への想いを心に刻みます。

 

 

 

 ハンセン病はどの様な病気なのでしょうか。ライ菌は結核菌と同じ抗酸菌のグループに入ります。感染力は弱く、まず感染はしません。

 

 

 

1943年には、特効薬プロミン(promin)が販売されて、その後にプロトミン、ダプソン、リファンピシンの販売もあり、完治する病気となりました。

 

 

私が初めてハンセン病療養所に、奉仕活動の一員としてボランティア活動の為に、行かせていただいたのは、1970年代でした。

 

 

訪問した療養所の担当者から「まず感染はしません。もし感染しても特効薬の処置で約2週間ほどで、ライ菌は死滅します。ライ菌の潜伏期間があり経過をみたいので、その時は1か月半ほど、この施設の軽々度の病棟に入院して下さい。経過を見ます。」とサラッと言われました。

 

 

しかし、すべては取り越し苦労で、感染なんか、当然ありませんでした。

 

 

逆に私の方が入寮者の皆さんや回復者の皆様に、助けられながらの活動でした。

 

 

残念なことに、1907年(明治40年)から1996年(平成8年)までの期間、日本では強制隔離政策が、原則として続けられていたことは事実で、そのことで多くの不幸を生み出しました。

 

 

 

 現在でも、日本国内にありましたハンセン病療養所の「語り部」として、各地でお話をさせて頂いています。

    

 

            「こころの菩提寺」

 

 

 

   

音楽ボランティア活動

 

小学校の頃から、二十歳過ぎまで、バイオリンを専攻していました。今でも部屋の隅にドイツ製のバイオリンが立てかけてあります。

 

 

当時は、バイオリン協奏曲や交響曲を、LPレコードで毎日聴いていました。

 

 

特に、ロシア人のバイオリン奏者、ダビット・オイストラフや、ユダヤ系アメリカ人のイツアーク・パールマンの、LPレコードは、すりきれるまで聴きました。

 

フルトヴェングラーやカラヤン、カールベーム、山田一雄等の方々にも影響を受けました。

 

 

 

 

 

年月は流れて、四弦四柱の薩摩琵琶の奉納演奏や、ハワイアンの演奏会を、病院、療養施設、拘置所等でしていた頃もありました。

 

 ハワイアンソングは、曲調が明るく、旋律が穏やかで、人間の病んだ心を、少しでも改善するところが、いいかもしれません。

 

 

現在は、当方も年をとり、お坊さんとして権式、勤行に励んでいます。 

                         

  

 

    「こころの菩提寺」