ウクレレのライブ演奏と、薩摩琵琶の奉納演奏。

  古典楽器「琵琶」について。

 

古典楽器「琵琶」の起源には、色々な説がありまして、よく分からない点もあります。日本へは奈良時代に遣唐使により伝えられたとされています。俗に言う盲人の琵琶法師である蝉丸は、今昔物語に出てきます。また、異なった説では平安時代に仁明天皇の第四皇子「さねやす親王」が眼の病になり盲人となり、出家して京都は山科の里に移り住み、その地にて琵琶の練習をしたとの説があり、これが琵琶法師の始まりとの説もあります。

 

ともあれ、古典楽器「琵琶」は、財福神の弁財天女(この神様は音曲の守護神)が、手に持っている楽器であり、日本最古の楽器の一つとして昔から演奏されてきました。

 

古典楽器「琵琶」には、奈良にある正倉院の中にある「楽琵琶」、この楽琵琶(がくびわ)は、現代でも雅楽の演奏に用いられます。撥(ばち)は小さく琵琶を横に倒して演奏します。平家物語を語るときに使用する「平家琵琶」ですが、ちなみに1180年頃、源氏と平家の合戦があり、この合戦を題材に1220年頃に作り上げたのが平家物語になります。さて中世に日本の武士階級が好んで使用した「薩摩琵琶」、はるか以前より盲人の僧が使用した「盲僧琵琶」ちなみに、この盲僧琵琶の歴史は古く、口伝によりますと雅楽に用いる楽琵琶と同じ時期に九州の各地に広まったらしいです。奈良に仏教が伝わる以前に、九州に伝わった仏教が九州の各地に伝わり、この地に多くの琵琶法師が出現したらしいです。明治時代の中頃になりますと、薩摩琵琶の長所と三味線の長所を集めて作られた「筑前琵琶」があらわれます。その他、色々な古典楽器「琵琶」があります。

 

 薩摩琵琶の音量は、弦をはじいた瞬間は力強い音はしますが、残響がなく薄っぺらい音になります。薩摩琵琶の役割は、演奏用の楽器ではなく、あくまで琵琶法師の語りがメインであり、琵琶という楽器は、あくまでも合の手を入れるリズム性のあるわき役になります。弦楽器のようですが、限りなく打楽器なのです。

 

4弦4柱の当方の薩摩琵琶の場合は、ドレミの音階ではなく、明治時代以前の音階になりますので、今の方々がお聞きになりますと、かなり違和感をお感じになるのではないでしょうか。このあたりが、すたれていく理由の一つだと思っています。

 

但し、改良に改良をほどこした5弦5柱の現代的な薩摩琵琶があり、現代のドレミの音階で演奏でき、西洋楽器とのコラボもできる薩摩琵琶もございます。筑前琵琶も実に演奏能力が高い楽器で、魅力的な琵琶楽器であります。

 

     

 

 

 

 

 

 

          

                      

 

                                                         

  

 

 

 

 

 

「金剛石」 昭憲皇太后様 作         4弦4柱の薩摩琵琶では、よく奉納演奏する曲です。

 

京都の伏見区の山の手に広大な敷地をもつ、明治天皇伏見桃山陵(明治天皇のお墓)が御座います。その御陵の東側に、明治天皇の正室であられた奥様のお墓である、明治天皇皇后伏見桃山東陵が御座います。

 

さて、明治天皇の正室である皇后様の幼少期のお名前は、美子様と申されました。

父は一条忠香様で、美子様ご本人は、幼少の頃から書道や和歌にも長じたお方でした。この美子様は、ご結婚されて名前を昭憲皇太后様と申され、有名な歌を数多く作られたのでした。有名な御歌のひとつとして「金剛石」という御歌が御座います。のちにこの御歌「金剛石」は、東京の学習院の校歌となりました。

 

さて、この御歌「金剛石」は、日本の古典楽器である4弦4柱の薩摩琵琶の演奏曲としては、昔から演奏され歌われてきた有名な曲となります。当方も奉納演奏会で「金剛石」を奉納させて頂く場合が御座います。そのような場合、当方は奉納演奏会の前日には、車を運転して京都伏見の、明治天皇の皇后様の御陵を訪れ、琵琶法師として作者の皇后様に、ご挨拶に参ります。

 

古典楽器である4弦4柱の薩摩琵琶の演奏会など、お客様は数人しか来られませんが、とにかく何事もなく済みますようにと祈り、作詞者である皇后様の御陵に頭を下げます。

 

                       「こころの菩提寺」  

 

 

 

 

 

 

「ウクレレでのライブ演奏」

 

 使用しているウクレレは、カマカ社のロングネックコンサートと、ビックアイランド社の ピックアップ付きパッシブタイプの

テナーウクレレを使用。アンプは、フイッシュマン社のPRO=LBXを使用しています。

 

 

昭和の頃は、ボランティア活動の有志と共に、安物のギターを持参して、病院、拘置所、高齢者施設などを、訪問させて頂き

ライブ演奏や、その他の催し物をしていました。当時、ピックアップ付きのアコギなど高価で買えず、アンプも高価で買えずにいた時代でした。

 

昭和の頃は、マイクスタンドも、マイクもアンプもなく、仕方なく怒鳴るような大声を出して、ライブ演奏をしていました。

 

特に、冬場の屋外でのライブ演奏は、北風が吹きさらしの中でのライブ演奏になるので、指が凍り、身体も凍りつきました。