訪問お経奉仕の心の菩提寺

いろいろな書籍に仏教の開祖であるお釈迦様の生い立ちが書かれています。ほとんどの書籍には、お釈迦様は小国の王様の子供としてお生まれになったと書かれています。それは本当でしょうか?お釈迦様がお生まれになる遥か昔に、このインドの地にアーリア人が攻め込んできました。アーリア人は現在のイギリス人とほぼ同じ人種になり、彼らはインドの地に住んでいた原住民を支配していきました。さて、お釈迦様の種族は釈迦族ですが、この釈迦族は現在のネパール辺りにいて支配階級のアーリア人からみると辺境の弱小の民族になります。我々がみる仏教の文献ではお釈迦様の種族の釈迦族は、上から二番目のクシャトリアという階級となりますが、当時の支配階級のバラモン教の文献によりますと、釈迦族は上から四番目のシュードラという卑しい階級になるのです。たぶん、こちらの文献の解釈の方が正しいのではないでしょうか。 今から2600年も昔に、アーリア人の侵略に危機感を感じながら、お釈迦様は何を感じとったのでしょうか。当時のお釈迦様の立ち位置は、現代の我々と何ら変わらない庶民の立ち位置ではなかったのではないかと思います。 訪問お経奉仕「こころの菩提寺」
お釈迦様の根本理念の一つに、縁起の法があります。縁起の法とは、皆様ご存知の通り因果関係の事です。必ず物事には原因がありその結果として結果があるという考え方です。例えば、桜の花がキレイに咲いた時、桜は勝手に咲くことは出来ません。その土地に栄養があり、立派な根っこからの栄養の吸収があり、太陽のサンサンとした光を浴びるという原因があり、やっと咲くのです。お釈迦様の考え方で説明すると、太い桜の幹や枝は(因)であり、それに働きかける栄養価のある土や雨や太陽の光が(縁)となるでしょう。そして、結果としてそこから咲くことのできた桜の花は(果)という事になります。この考え方が「縁起の法」の考え方なのです。別の言い方は「因縁生起」といいます。我々が日常生活の会話の中で縁起がいい悪いと言うその元の言葉は「因縁生起」なのです。私達は、ときとして自分は一人で生きているのだ!と思う事がありますが、この世の中の全ては、何らかの因縁があり、それにより生起が生まれるのです。だから、原因「因縁」を変えれば現在の貴方の在り方「生起」も変わるのです。永久に同じという事は、この世にはありません。「こころの菩提寺」