「こころの菩提寺」

日本が生んだ世界的なカトリック作家の遠藤周作氏は、作家という仕事を自分自身でつかみ取ったのでしょうか?世界中で販売されている彼の数々の書籍は、彼自身の計画の中で作られたのでしょうか?昭和の当時、遠藤氏は日本人として初めて、当時のローマカトリックの総本山であるバチカンで、法王と複数回、謁見を許されています。日本人では遠藤氏がはじめてでした。これも、彼自身が計画していたのでしょうか?私は思うのですが、遠藤周作氏の仕事はすべて、彼の神様からいただいたものではないでしょうか。遠藤周作自身が、これがやりたいと思ってやり始めた事など、一つもないように感じます。彼は朝に祈り、夕に祈る人生の中で、神の啓示、天の啓示 を聞き、そのようにして人生を過ごしたのではないでしょうか。遠藤周作氏は、いつも神様(キリスト教の神様と御母上様)の近くに行きたいと望んでいました。人間の勝手な願望や切望を捨てて、神様からの声を聞いて、そのように人生を進んだ作家ではなかったのかと思います。宗教は違いますが当方としても学ぶべき事が多々あります。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
世界的なカトリック作家の遠藤周作氏が書かれた代表作「沈黙」ですが、当方も学生時代に繰り返し読みました。そこに記述されている内容は、キリスト教だけの神の概念ではなく、すべての宗教に問われている神の概念でした。ですので昭和の当時でも、仏教国の日本で爆発的なヒットになりましたし、海外でも話題作となりました。昭和の当時に、ローマカトリックの総本山であるバチカン市国の法皇が、遠藤周作氏との謁見を複数回されています。このことからも当時のバチカンが遠藤周作氏を、いかに高く評価していたかがわかります。その遠藤周作氏が作品の中でいつも繰り返し問い続けたのは、「神は本当におられるか?」という疑問でした。遠藤周作氏は死の間際になった時、人間は神も仏もあったもんじゃない!という衝動にかられるのではないかという事を、晩年感じ取っていました。その孤独感や恐怖感に対して自分自身がどの様に向き合っていくか‼それこそが人間にとって最後に残された最大の苦しみであることを遠藤氏は知っていました。遠藤氏は自身の死の間際に「神様にすべてをゆだねます」と言って昇天されました。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
青春時代に、カトリック信者の作家、遠藤周作氏の「沈黙」を繰り返し読みました。遠藤周作氏の著書はすべて学生時代に読みましたが、昭和の頃から遠藤周作氏は大人気の作家で数々の書籍を出されていました。いまでは天台宗の僧侶になられた瀬戸内寂聴氏(昭和の頃は女流作家の瀬戸内晴美氏でした)とも親交があり、二人で色々なエッセイ集も出されていました。そのエッセイ集も京都の学生街にある古本屋さんで見つけては、安く買い読んだものでした。日本が生んだ世界的なカトリック信者の大作家である遠藤周作氏でしたが、その著書に書かれた内容を読めば、昭和の当時から遠藤周作氏が、カトリックの神の概念や神の存在に、強く疑念を持ち苦しんでおられる事が、当方の様な場末を濁す人間にも感じ取る事が出来ました。大作家の遠藤周作氏は、中年の頃に結核になり死の覚悟を繰り返ししているのです。遠藤氏は、中年の頃から人間が死んだ後に素晴らしい世界が待っていることを強く期待していました。その後、望んだようにお母上がお待ちの天国に昇天されました。信じる事の大切さを遠藤氏から学びました。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
昭和の頃から、ボランティア活動の一貫として精神面でハンデをもった方々との人生相談(カウンセリング)をしてきました。若い方々の話を聞かせて頂きながら、いつも強く感じる事があるのです。その事とは精神面でハンデをもった若者の多くが、授乳期から青春時代を通して、母親との関係がうまくいっていなかった場合に、精神面が不安定な子供ができる場合が多い点です。子供に対しての影響力は、父からの影響力と母からの影響力では、比べ様もないくらい母から受ける影響力は絶大です。考えてみれば当然ですが、出産して授乳を繰り返し、我が子を育てるのですから出産した時点から母親の子供に対しての影響力は絶大なものとなり子供にのしかかっていきます。この時期に母と子供の人間関係がうまくいけば、その子供は幼少期から青年期と成長して、両親以外の他人との人間関係も健全に形成できるのです。40年以上のカウンセリング経験から考察するのは、乳児が人間としてスタートした時点での母との人間関係が、何よりも大切であるという点です。こころ(脳)に傷をうけると、まず治らない事を覚えておいてください。  訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」  
仏教の言葉で、「心身一如」という言葉があります。この言葉は人によっては「身心一如」といわれる方も御座います。この言葉の意味は、心と体は別々のものではなく常にいっしょのものという意味になります。さて、昭和の頃から精神にハンデをもった方々の人生相談をしてきた当方として感じる事があります。特に子育て中の若いお母様に申し上げたいのですが、約40年以上のカウンセリング経験からのアドバイスですが、子供の心(脳)は、考えられないぐらい傷つきやすく、若いお母様の無神経な注意の仕方で、子供の心(脳)に生涯治らない傷をつけます。お子様の性格が素直で実直なお子様であれば、なおさらお母様の注意の仕方(言葉使い)は、慎重にすべきです。一度でも心(脳)に大きく付けられた傷は私の経験では、まず治りません。そのお子様が大人になっても、心の傷(脳につけられた傷)は、治らずに大人になった方の人生に大きな影響を与え続けるのです。乳幼児期から青春時代を迎え、それを過ぎる頃までのお子様の心(脳)は、とてつもなく繊細であり傷をつければ、もう治らないことを知ってください。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
今までの伝統仏教界や、既存仏教界を支えてきたのは、間違いなく女性の方々でした。昭和の頃でも、檀那寺の婦人部のご努力で、寺院が維持管理してこられた事を当方は知っています。昭和の頃は、まだ除草剤が販売されていなくて、御住職殿の奥様や、婦人部の皆々様方が、早朝、お昼過ぎ、夕方と一日中、広い墓地の草取りをされていたことを思い出します。寺の婦人の皆様方があってこそ寺院が維持管理されていきました。これからの伝統仏教界、既存仏教界は、女性の感性を今まで以上に取り入れていきながら運営をしなくてはいけないのではないでしょうか?あと一つ思うことがあります。今までの伝統仏教界、既存仏教界では、ご夫婦の先祖供養、法事や法要は、いつもご主人側のご先祖様しか先祖供養をしてこなかった歴史があります。当方は以前よりご夫婦の先祖供養の場合、ご主人の先祖供養と、妻側の家の先祖供養もできる場合はしてきました。(出来ない場合もありますが)ご主人の先祖供養だけでなく、すすんで、妻側の先祖供養まで、心をこめて勤行、勤式をしても、いいのではないでしょうか?   訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
現在では、精神科の医師や、心療内科の医師、臨床心理士、精神保健福祉士、その他の研究機関の研究員まで利用しているのが「内観療法」という心理療法です。各方面で応用されています。病院機関では昔から用語としては「内観療法」といいますが、そのもととなるのが、真宗(浄土真宗)の僧侶である吉本伊信先生が、信心から模索し創意工夫をし生み出した「内観」という心理療法でした。人生をあしばやに歩むだけでなく、立ち止まり、静かな環境の中で、悪い思い出も、よい思い出も、心の中によみがえらせて、自分自身が親兄弟にいかに愛されて、大切にされてきたのかが心底わかる「行」なのです。貴方も人生の歩みを一旦止めて、静かに過ぎ去った過去を総括されてはいかがでしょうか?きっと、今までに親や兄弟姉妹にも、どれほどの愛情を受けて育ってきたかを知ることになるでしょう。この「行」は浄土真宗に昔から伝わる知恵の行なのです。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
ここにご紹介する「内観法」という心の療法ですが、昭和の時代に真宗(浄土真宗)木辺派の僧侶である吉本伊信先生が浄土真宗の学びの中から、そのヒントを得て考案された心の療法です。我々は、時として心の問題や、自分自身の性格の問題、親族の問題等々で悩み苦しむ場合がございます。また、表面上は明るく朗らかに装ったとしても、自分の心の中は、いつも満たされないで、焦りやいらだちの感情が沸き起こる場合もあります。それらの感情や思いに対して、昭和の時代に「内観」という療法で、実際に自分の体を使い、自分自身の心や身体の安定を求めていった一人の僧侶がいました。真宗(浄土真宗)木辺派の僧侶である吉本先生でした。昭和の時代に、吉本先生が率先して悩み事、苦しみ事をもつ方々に、心の療法である「内観」の紹介をご自身の命をかけて紹介しました。現在では医療関係の分野や、それ以外の分野でもこの「内観法」が利用されています。私自身も1970年代に、ハンセン病の患者様のカウンセリングをさせて頂く場合、まずは、自分自身の「内観」をしてから、当該患者様と向き合った経験があります。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
皆様方は、現代の精神医学や、臨床心理学や、心理療法、その他各方面に応用されている「内観法」という療法をご存知でしょうか?各方面に良い影響を与えた療法ですが、この「内観法」という療法を考え育てた方が、真宗(浄土真宗)木辺派の僧侶である吉本伊信先生でした。さて、この内観法ですが、静かな研修道場などで、数日間、外界との関係、連絡を絶ち、自分自身との関係の深い親族の事を想い、今までに自分はその方々に何をしてきたか、何をして頂いたかを、各方面から自分自身の心の中に問い続けていく修行です。この療法で心身の健康を取り戻した方々は多いのです。この様な療法がある事を心のどこかに忘れずに置いといて下さい。なお、本日のブログの写真は、吉本伊信先生が僧侶であった真宗(浄土真宗)木辺派の本山錦織寺の仏像です。本山錦織寺の宝の一つです。いつもは御開帳されてません。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
薩摩琵琶の中でも、改良されていない4弦4柱の薩摩琵琶があります。裏板を胴といいまして、材質は島桑が最良と言われます。表の板を腹板といいまして、これもまた島桑の材が最良となります。4弦4柱の薩摩琵琶が完成したのは、室町時代頃といわれています。もちろん、音階は現代のドレミの音階ではなく、奏者の声にあわせた音階になります。今の皆々様方には、少し理解しにくい音階です。さて、昭憲皇太后閣下の御歌を一曲、ご紹介致します。「金剛石」という御歌です。明治天皇陛下の正室であられ、日本で初めて洋服をめされた皇后様でもありました。この皇后様は和歌と筆の達人で、多くの御歌を残されていますが、有名な御歌のひとつである「金剛石」は、4弦4柱の薩摩琵琶では、よく演奏される曲です。東京の学習院の校歌にもなっています。当方が薩摩琵琶の奉納演奏をさせて頂く場合、奉納演奏の前に必ず訪れる場所があります。京都の伏見にある明治天皇陛下のお墓と、その横にございます皇后様のお墓です。この地に行かせて頂き、御歌を作られた皇后様に、奉納演奏がうまくいく様にと、ご挨拶に参ります。  訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」  

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