子供の頃から、バイオリンを専攻していました。今でも当時使用していたドイツ製のバイオリンが、部屋の隅に立てかけてあります。当時、バイオリンの先生から、プロの演奏家のバイオリン協奏曲、交響曲を毎日、5時間位は聴くようにとアドバイスを受け、両親に頼み、外国から高価なLPレコードを多量に輸入してもらい、高価なステレオを据え付けてもらい毎日聴いていました。また京都公演をする、有名交響楽団のライブ演奏も毎回聴きに行きました。本当に両親に、恵まれました。私の青春時代、一番強く影響を受けた指揮者は、カラヤンでもなく、フルトヴェングラーや、カールベームでもなく、当時、京都市立交響楽団常任指揮者の、山田一雄氏でした。あの昭和の時代に、フルトヴェングラーや、カラヤンに勝るとも劣らない日本人の指揮者がいて、その指揮者のライブ演奏を毎月聴いていました。贅沢の極みでした。ちなみに、山田一雄先生は、関西圏ではあまり有名ではないかもしれませんが、日本のクラッシック界では、重鎮であり、孤高の天才指揮者でした。
先日、九州は鹿児島の住職のお話を聞かせて頂いたのですが、その御住職のお話ですと、昨今、高齢者の自殺が増えているとのことでした。住むところもあり、食事もできる状態でありながら、それでもなお、自殺を選ぶ高齢者が多いとのことでした。その御住職の考えでは、今の時代はお金がものを言い、介護サービスも、介助サービスも、高齢者が入所出来る老健施設も全て、お金がものを言い、全てにおいて今まであった日本人の精神性が消滅したと言いました。確かに、昭和の時代は、今より貧しかったが、間違いなく現代の日本人よりも、昔の日本人の方が豊かな精神社会、精神生活を送っていたように思います。豊かにはなりましたが、我々が失った豊かな精神社会は、もうどこにもないのです。
ここ、関西圏では、先日も中学生の女生徒が自殺しまして、同じ中学校の男子生徒も、少しあとで自殺した事がありました。男子生徒をよく知っている住職の方のお話を聞いていると、心が暗くなります。中学生の男子生徒のお葬式の時、その住職は、胸にこみあげるものがあり、お経を、しっかりと声明できなかったと言っていました。実に悲しい出来事です。このお話をされた住職は、そのお子様方が、苦しくてどうしようもなくなった時、手と手をあわせて、心をしずめて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えることが、習慣として出来ていたらと、悔やんでいました。実に残念な出来事でした。
日本が生んだ世界的なカトリック作家の遠藤周作氏は、作家という仕事を自分自身でつかみ取ったのでしょうか?世界中で販売されている彼の数々の書籍は、彼自身の計画の中で作られたのでしょうか?昭和の当時、遠藤氏は日本人として初めて、当時のローマカトリックの総本山であるバチカンで、法王と複数回、謁見を許されています。日本人では遠藤氏がはじめてでした。これも、彼自身が計画していたのでしょうか?私は思うのですが、遠藤周作氏の仕事はすべて、彼の神様からいただいたものではないでしょうか。遠藤周作自身が、これがやりたいと思ってやり始めた事など、一つもないように感じます。彼は朝に祈り、夕に祈る人生の中で、神の啓示、天の啓示 を聞き、そのようにして人生を過ごしたのではないでしょうか。遠藤周作氏は、いつも神様(キリスト教の神様と御母上様)の近くに行きたいと望んでいました。人間の勝手な願望や切望を捨てて、神様からの声を聞いて、そのように人生を進んだ作家ではなかったのかと思います。宗教は違いますが当方としても学ぶべき事が多々あります。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
世界的なカトリック作家の遠藤周作氏が書かれた代表作「沈黙」ですが、当方も学生時代に繰り返し読みました。そこに記述されている内容は、キリスト教だけの神の概念ではなく、すべての宗教に問われている神の概念でした。ですので昭和の当時でも、仏教国の日本で爆発的なヒットになりましたし、海外でも話題作となりました。昭和の当時に、ローマカトリックの総本山であるバチカン市国の法皇が、遠藤周作氏との謁見を複数回されています。このことからも当時のバチカンが遠藤周作氏を、いかに高く評価していたかがわかります。その遠藤周作氏が作品の中でいつも繰り返し問い続けたのは、「神は本当におられるか?」という疑問でした。遠藤周作氏は死の間際になった時、人間は神も仏もあったもんじゃない!という衝動にかられるのではないかという事を、晩年感じ取っていました。その孤独感や恐怖感に対して自分自身がどの様に向き合っていくか‼それこそが人間にとって最後に残された最大の苦しみであることを遠藤氏は知っていました。遠藤氏は自身の死の間際に「神様にすべてをゆだねます」と言って昇天されました。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
青春時代に、カトリック信者の作家、遠藤周作氏の「沈黙」を繰り返し読みました。遠藤周作氏の著書はすべて学生時代に読みましたが、昭和の頃から遠藤周作氏は大人気の作家で数々の書籍を出されていました。いまでは天台宗の僧侶になられた瀬戸内寂聴氏(昭和の頃は女流作家の瀬戸内晴美氏でした)とも親交があり、二人で色々なエッセイ集も出されていました。そのエッセイ集も京都の学生街にある古本屋さんで見つけては、安く買い読んだものでした。日本が生んだ世界的なカトリック信者の大作家である遠藤周作氏でしたが、その著書に書かれた内容を読めば、昭和の当時から遠藤周作氏が、カトリックの神の概念や神の存在に、強く疑念を持ち苦しんでおられる事が、当方の様な場末を濁す人間にも感じ取る事が出来ました。大作家の遠藤周作氏は、中年の頃に結核になり死の覚悟を繰り返ししているのです。遠藤氏は、中年の頃から人間が死んだ後に素晴らしい世界が待っていることを強く期待していました。その後、望んだようにお母上がお待ちの天国に昇天されました。信じる事の大切さを遠藤氏から学びました。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
昭和の頃から、ボランティア活動の一貫として精神面でハンデをもった方々との人生相談(カウンセリング)をしてきました。若い方々の話を聞かせて頂きながら、いつも強く感じる事があるのです。その事とは精神面でハンデをもった若者の多くが、授乳期から青春時代を通して、母親との関係がうまくいっていなかった場合に、精神面が不安定な子供ができる場合が多い点です。子供に対しての影響力は、父からの影響力と母からの影響力では、比べ様もないくらい母から受ける影響力は絶大です。考えてみれば当然ですが、出産して授乳を繰り返し、我が子を育てるのですから出産した時点から母親の子供に対しての影響力は絶大なものとなり子供にのしかかっていきます。この時期に母と子供の人間関係がうまくいけば、その子供は幼少期から青年期と成長して、両親以外の他人との人間関係も健全に形成できるのです。40年以上のカウンセリング経験から考察するのは、乳児が人間としてスタートした時点での母との人間関係が、何よりも大切であるという点です。こころ(脳)に傷をうけると、まず治らない事を覚えておいてください。  訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」  
仏教の言葉で、「心身一如」という言葉があります。この言葉は人によっては「身心一如」といわれる方も御座います。この言葉の意味は、心と体は別々のものではなく常にいっしょのものという意味になります。さて、昭和の頃から精神にハンデをもった方々の人生相談をしてきた当方として感じる事があります。特に子育て中の若いお母様に申し上げたいのですが、約40年以上のカウンセリング経験からのアドバイスですが、子供の心(脳)は、考えられないぐらい傷つきやすく、若いお母様の無神経な注意の仕方で、子供の心(脳)に生涯治らない傷をつけます。お子様の性格が素直で実直なお子様であれば、なおさらお母様の注意の仕方(言葉使い)は、慎重にすべきです。一度でも心(脳)に大きく付けられた傷は私の経験では、まず治りません。そのお子様が大人になっても、心の傷(脳につけられた傷)は、治らずに大人になった方の人生に大きな影響を与え続けるのです。乳幼児期から青春時代を迎え、それを過ぎる頃までのお子様の心(脳)は、とてつもなく繊細であり傷をつければ、もう治らないことを知ってください。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」
はるか以前より、この世の中は科学や物理学が万能の世の中となりました。何をするにも、まずは科学や物理学等による「証明」が必要になりつつあります。科学や物理学での「証明」が出来れば信じましょう‼といわんばかりの感があります。また日常生活の中にも、この考え方が浸透している有様です。しかしながら、証明出来たら信じて、証明できないものは信じないという発想に、当方は不可思議を感じます。万能薬のように感じている科学や物理学、その他の学問にしても、それらの学問は万能薬ではなく、当然ながら出来ない事は数限りなくあるのです。そして学問では対応できない多くの事柄に対応できるのが「宗教」であると感じています。このことに気が付いてない方々が多くおられると思います。しかし、科学万能の時代ですので、これも仕方が無いと思います。無意識の中にある意識こそが、貴方様の良き人生を導いてくれるのではと思います。  訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 
10/03/2018
昭和の頃から、日本の伝統仏教は、よく「葬式仏教」と揶揄されてきた現実があります。この「葬式仏教」という言葉の中に、まず良い意味はありません。しかしながら、葬儀、葬式というものが、ブッダ(お釈迦様)の教えを大切にする日本の伝統仏教の中では、とても重要な事柄を含んでいることをご理解頂きたいのです。ブッダ(お釈迦様)がご存命の頃のインドでは、バラモン教が主流の宗教で、仏教は葬儀、葬式を大切にする気持ちの悪い弱小宗教と思われていたでしょう。当時は、インドでは弱小の仏教ではありましたが、何故に葬儀、葬式を重要視したのかがポイントになります。そもそもブッダ(お釈迦様)が出家した理由は、死をいかにして迎え、死に対してどの様にして精神的にも身体的にも、乗り越えていくか‼というのが出家した原動力になりました。つまり、ブッダ(お釈迦様)が出家した理由は、死に対しての克服ではなかったのでしょうか?死という事柄に対して正面から対峙することなく、「本当の生」は存在しないとブッダ(お釈迦様)は考えたのでした。人々が仏教に期待したのは、葬儀や葬式という死者への供養でした。 訪問読経奉仕の「こころの菩提寺」 

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