(this week‘s sermon・今週の法話)「こころの菩提寺」ようこそのお立ち寄りです

2018年(平成30年)の「1月の法話」をお話していきたく思います。

 

「御言葉・みことば」について お話したく思います。

 

1970年代の後半、私は福祉活動で、アメリカ人宣教師のR・ラスムッセン先生と出会いました。私は仏教徒で、先生はキリスト教の宣教師でしたが、福祉活動では協力し合いましたし助けられました。特にラスムッセン先生からは、当時(昭和40年頃)から、世界の宗教界の多種雑多な情報を、直接ご教授いただいていました。日本にいながら世界の宗教界の情報を提供してもらえたので、大変ありがたく感じていました。「聖書」についても先生から色々とご教授いただいたのです。

 

さて、本年初めての「1月の法話」なのですが、私は「御言葉・みことば」についてお話していきたく思います。

 

キリスト教の新約聖書の「マタイによる福音書」の中に、世界の皆さんがよくご存知の「山上の説教の話」があります。

「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人々のものである。悲しむ人は幸いである。その人々は慰められるであろう」

等々の主イエス・キリストの有名な説教の部分であります。今でも全世界のキリスト教の信者、約22億人の信心の源になっているところであります。

 

さて、では日本仏教の中にも、同じ様な「御言葉・みことば」が出てくるお話があることを、ご存知でしょうか。

 

善導大師の「散善義」という書物の中に出てくる「二河白道」というお話です。浄土往生を願う衆生が、信を得て浄土に至るまでの事柄が書かれている物語なのですが、その中で信心を持ち道を進もうと人は頑張るのですが、色々な難関が行く手をふさぐのです。

その様な中でも、その苦しんでいる信者に東の岸からは、お釈迦様が「大丈夫だから行きなさい」との御言葉をかけます。また、西の岸からは阿弥陀様が「大丈夫だから、渡りなさい。大丈夫ですよ」との御言葉をかけます。お釈迦様の御言葉を、また阿弥陀様の御言葉を、しっかりと受け止めて、自分のものとして歩いていくという仏教徒の姿を書いた物語です。

 

仏教でも、キリスト教でも、絶体絶命の信者には、神様からの「御言葉・みことば」が届くというお話をさせて頂きました。

 これで、本年初めての(今週の法話)を終了いたします。有難う御座いました。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

「俳人小林一茶」から学ぶ、浄土真宗のこころとは!

 

 2018年(平成30年) 1月の2回目の法話となりました。2回目の法話といたしまして、俳人小林一茶を取り上げていきたく思います。小林一茶は、信濃国で農家の子として生を受けました。一茶とは「俳号」であり、本名は小林弥太郎といいました。

 

若くして江戸に出て、苦労の上にも苦労をかさね、やがて松尾芭蕉とも並ぶ俳人の一人となったのです。その小林一茶の俳句に次のようなものがあります。「年もはや 穴かしこ也 如来様」というもので、小林一茶の最晩年の俳句といわれています。

 

さて、この俳句の中にある「穴かしこ」とは何のことなんでしょうか? 「穴かしこ」とは、浄土真宗の蓮如上人がお書きになる御文の最後にいつも「あなかしこ あなかしこ」とお書きになっておられました。この蓮如上人の御文の最後を飾る言葉である「あなかしこ」を、人生の終わりがきた自分自身にかさねて「穴かしこ」と表現したのでした。

 

俳人小林一茶は、「私の人生はもう終わりになろうとしていますから、阿弥陀様!あとは宜しくお願いしますよ!」と阿弥陀様にすべてをまかせにまかせた最晩年の信心をあらわした俳句でした。

これで、今回の法話を終わります。 

 

「こころの菩提寺」 京都の琵琶法師 本河聞光

 

 

 

 

 2018年(平成30年) 2月の法話です。

「孤高の人であり良心のハンセン病研究者 小笠原 登」について

 

本日は、小笠原 登氏の紹介をしたく思います。小笠原氏は1888年(明治21年)7月10日に愛知県に生まれ、1970年(昭和45年)に亡くなりました。日本のライ病研究者でしたが、それだけでなく多くのハンセン病の患者様を助けた医師でもありました。当時の日本の医学会の意見と異なる見識を持ち、当時は国賊と不当に罵られた悲運の医師でもありました。但し、結局は、この小笠原氏のハンセン病の意見や見識、学識の方が正しかったという事があとでわかりました。

 

小笠原氏のおじい様は、真宗大谷派の僧侶で、この小笠原氏も僧籍を持っていたのではと、私は勝手に推測しています。小笠原氏の祖父は、僧侶でありながら、薬学に見識があり、漢方医学の専門家でありました。まだ江戸時代の末期、西洋の医学が日本に入る前に、愛知県のお寺の境内で、小笠原氏の祖父は、ライ病、淋病、梅毒などの治療に専念していたのです。つまり、お寺の境内の中に簡易の病院を開設して治療をしていたことになります。

 

小さい頃から、祖父の治療を見ていくなかで、少年である小笠原氏は自分も同じ道をと思い、のちに京都帝国大学の医学部に進学して、皮膚科の専門医となり、ライ病の専門医となるのです。明治40年から平成8年まで、日本国ではライ予防法という法律が存在していて、原則は、ハンセン病の患者は全員が強制収容と強制隔離政策でありました。この結果、多くの患者が犠牲となり、死んでいきました。

 

当方も、1970年代に、日本国内のハンセン病療養所にて、活動を続けていましたので、このあたりの患者様の声を直接に聞いており、現場も見ているので筆舌に尽くしがたい思いは、今もあります。

 

昭和16年に、小笠原氏は「体質説」というハンセン病の新しい学説の論文を世に出しました。しかし、これが当時の日本の医学会の反発を招き、集中砲火をあびて国賊と罵られました。現在ではこの学説が正しかったことがわかっています。

 

ハンセン病の患者様を守り、普通は伝染しない病と説明して、患者の治療を強制収容所ではなく、自宅で出来るように努力した、当時では珍しい医師でした。仕事のやり方に高い知識、学識、見識、心、がありました。

 

小笠原氏は、1970年(昭和45年)の12月12日にお亡くなりになりました。享年82歳でした。お墓は愛知県の真宗大谷派のお寺にあります。実に小さな小さなお墓です。

 

生前、小笠原氏は、いつも僧侶の黒衣に似た黒い上着を着用して、頭髪も僧侶のような剃髪した様な頭にしていました。心の中で祖父の面影に近づこうとしていたのかもしれません。

 

今回の法話を終わります。有難う御座いました。

 

「こころの菩提寺」 京都の琵琶法師 本河聞光

 

 

 

 

 2018年(平成30年) 2月の法話です。

 

 「御文章」 (御文) 朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり   蓮如上人

 

 

 蓮如上人は、仏教の根本思想の一つである「諸行無常」について御文を書かれています。「諸行無常」とは、あらゆる分野、あらゆる物事は、自分自身を残して変化し続けていき、一時、一瞬といえども同じ事などないという仏教の根本思想です。「朝には実に元気な顔をしていても、その日の夕方には死んで白骨となってしまう身である」と書かれています。

 

蓮如上人は、人の命が実にはかないものであると記述されています。人間というものは、常に死にむかって生きています。それは、先程、オギャーと産声を上げた赤子であっても同じことです。

 

だからこそ蓮如上人は、いま!現在!をもっともっと大切に生きていきましょうと念じておられるのです。

 

「こころの菩提寺」 京都の琵琶法師 本河聞光